私は焙煎士でもありますが、日本バリスタ協会認定のバリスタでもあります。いわば、コーヒーを淹れるプロです。
また、本職はイタリア料理の調理に20年携わっているシェフ(料理人)です。そのシェフの目線から、コーヒーの「焙煎度」というものにずっと疑問を抱えていました。
それは、「豆によって焙煎度を変えることは、その豆本来の姿を本当に引き出しているのだろうか?」ということです。
例えば料理人が「近江牛」と「松坂牛」、「飛騨牛」を食べ比べるとします。この時、「近江牛は肩ロースを表面をさっと炙って」「松坂牛はランプにしっかり火を入れて」「飛騨牛はバラ肉をじっくり煮込んで」食べ比べて、「近江牛が一番おいしい!」なんてことはありえません。やるとするなら、全て同じ部位を、同じ条件の調理・火入れのもとに食べ比べます。
「ゲイシャは浅煎りで香りを味わってもらいたい」「マンデリンは深煎りにして苦みを際立たせたい」・・・そういったアプローチや意図を否定するわけではありませんが、そのように焙煎度を変数としていじることで、逆に豆本来の姿から遠ざかってしまっているのではないかという思いがありました。浅煎りにすれば繊細な香りは際立ちますが酸味(場合により酸っぱさ)も強くなり、ボディや甘みは出てきません。かといって深煎りにすればボディは出ますが心地よい酸味は失われ、苦み(場合より焦げ臭)やエグミといったネガティブな要素が強くなります。具体例を挙げれば、「浅く煎ったマンデリン」より「深く煎ったブルーマウンテン」の方が苦いのは当たり前です。これを飲み比べて「ブルーマウンテンって苦い豆なんだね!」と言われても、いやそりゃ違うんだぜと・・・(笑)。
「全ての豆を、ある理想的な基準の焙煎度に統一することが、豆に対して本当に真摯に向き合うということではないだろうか」と悩んでいたところに出会ったのが、「完煎」という考え方でした。